投稿

ときめき

寒い日が続いた3月ですがようやく、暖かくなってきましたね🌸 空が青く澄んで太陽の光が明るく照っていると心も晴れやかになります(^^♪ バスティンの教材の中にショパンの幻想即興曲のゆったり歌う部分を抜粋した曲があります。それを弾いてきてくれたSちゃん。弾いている様子からこの曲を好きなことが伝わってきます。気持ちよさそうに体が歌っていて、Sちゃんのこの曲に対するときめきが伝わってきます。こういう時のアドバイスはとても吸収がいいです。最初の2分音符を弾きながら伸びていくのを感じてというとすっと理解し音が変身しました。最後に連弾した後はとても満足そうなうれしそうな笑顔でした!(^^)! この笑顔は私にとって本当にごちそうです。 すごくうれしい(*^-^*) 生徒さんたちが好きな曲にときめいている様子や、それが弾けたときの嬉しそうな様子を見るのはピアノ講師としての最大の喜びです。 生徒さんたちに少しでも多く音楽にときめいて弾ける喜びを感じてほしい、それが一番の願いです。

成長の形

イメージ
  一昨年、葉っぱだけの苗の状態で購入したクリスマスローズがやっと開花しました!(^^)! 今花を付けている茎の新芽が出始めたのが一か月ちょっと前でそこから急に伸びて急に咲いたという感じです。それまではひたすら購入時の葉のままほぼ変化なく、2年間過ごしてきました。 目に見えない根っこの部分で成長していたんだなあとしみじみ感じました。 生徒さんたちの成長を振り返ると本当に一緒だなあと思います。 それぞれ個性があって成長の仕方も様々ですが、どんな生徒さんにも必ずこのクリスマスローズのような、ある時急にボンっと成長する時があります。 今まで苦労していたことが楽々できるようになりまさに花開く感じ(^^) ずっと横ばいに感じられる状態もそれは目に見えている部分がそうであるだけで根っこの部分は着々と成長を積み重ねていたことを強く感じられる瞬間です。 子供たちの生命力を感じる瞬間です。 だからあせらず、コツコツ楽しくひたすら日々のレッスンを重ねていきたいです。

イメージスイッチ

 ブルグミュラーの天使の声を練習中のhちゃん。 先週、「まだ音をよく把握していないところがあるから、もう少し確実にしてきてね」と言ってしまったからか、弾き方が音を確認しながら確実に弾くことに集中している感じ。 この生徒さんはいつもほんの少しイメージのヒントになるようなアドバイスをすると、急にスイッチが入って音楽が歌でいっぱいになり、弾く時の体の動きも断然違ってくる生徒さんです。それで、今回も「ずっしり弾きすぎないで鍵盤とハンマーのすきまに少し空気を残すようなイメージできれいな音をねらってみて」などほんの少し曲のイメージをアドバイスすると、2回目の演奏はさっきとは打って変わって曲の世界に入り込み体の動きも音楽の波に乗っている感じ。素敵な演奏でした。さすがです。 hちゃんを見ているといつも音楽のイメージの力をつくづく感じさせられます。 他の生徒たちもこのイメージスイッチが入ることで演奏が大変身することがしばしばです。 細かいデュナーミクなどもイメージ一つで自動的に素晴らしくできてしまったりします。 音楽自身が自分から動き出すような感じですね。 自分で演奏するときももちろんそうですね。頭の中が音楽のイメージで満たされて浸りきれるとき本当に幸せです。 ともすれば楽譜の読み方や指使いなどに一生懸命になりすぎてこのもっとも大事なことを忘れてしまいがちになりますが、一回のレッスンで必ず一度は音楽のイメージで生徒さんが楽しめるよう心掛けたいと思います。

萌えポイント

 GReeeeNのキセキを練習中のTちゃんは毎回曲中のある個所にくると「ここ好き」と言ってそこを何回か味わうように弾いてはこちらを向いてにこっとしてくれます。その個所はほんの四分音符1拍分の箇所ですが、たしかに流れを少し変えるような何とも言えないコードが絶妙に登場している箇所で、「ほんとだあ、いいねえ、そこ」といつも激しく同意しています。 Tちゃんは今の曲以外でもよく、ここが好きと曲のほんの1拍分の萌えポイントをみつけては教えてくれ、また曲以外でも「先生何色がすき?○○は紫が好き。紫っていってもこういうのじゃなくてこういう薄い感じの。」などなどぐっとくるものをよく教えてくれます。 そして私はそんなTちゃんのすてきな感性にいつもぐっときています。 ありますよね、何とも言えず心を奪われる萌えポイント。 私もこどものころオリーブの首飾りという曲が好きで覚えているメロディに伴奏を適当につけてよく弾いていましたが、何とも言えず好きなコードがあり、この世にはどうしてこんなにすてきなものがあるんだろうと不思議な感覚を覚えていました。 何年か前ですが生徒のお母さまも萌えポイントを教えてくださったことがありました。お子さんが発表会で弾くベートーベンのロンドの中の2小節分くらいの箇所を「ここがすっごい好きなんです」とおっしゃって、たしかに心がすうっとするような優しい満ち足りたような2小節でそのときのお母さまの感性にもすごく感激しました。 音楽に喜びを感じている仲間同士という気持ちになれてとてもうれしくなります。 だから、レッスンではいつもそれぞれがそれぞれの尊い感性を持っていることを忘れないでいたいと思います。自分の感性を押し付けず、生徒自身が自分の感性を持って音楽を楽しめるようにといつも願っています。

いいよ、うつっても

長い間続いたコロナ禍の制限があけ日常が戻ってだいぶ経ちました。 コロナ自体はなくなったわけではなくむしろ日常化しているという感じですが、生活を普段通り送れるというのはありがたいことですね。 制限が厳しいころは教室でも本当に神経を使っていました。 そんな大変な頃の出来事です。 ある生徒のレッスン中に他の生徒のお母さまから、携帯のLineに連絡が入り、ちらっとコロナという文字が目に入ったので生徒に「ちょっと急ぎかもしれないからごめんね」と断ってLineを読むと数日前にレッスンに来ていた生徒が検査の結果コロナ陽性だったとのことでした。 ということは、もしかしたら私自身がその時感染してウィルスを保持している可能性があるということです。何の症状もなく元気でしたのでかなり可能性は低いとは思いましたが、レッスン中だった生徒に「もしかして、先生お友達のコロナがうつっていてコロナかもしれんけ、帰ったらよくうがいしとってね、ちょっとあんま先生にあたらんようにしといて。ごめんねもしかしてうつしたら」と言いました。 するとその生徒はのんびりした様子で「いいよ、うつっても」と言うのです。 「え、いいん、うつっても、なんで」というと、その生徒は、以前従妹からコロナ感染したことがあり、近々また従妹に会う予定があったことから、自分が感染したら今度は自分が従妹にコロナをうつすしておあいこになるからといって少し楽しそうでした。悪意など全くなく従妹同士のじゃれあいを楽しんでいるほんわかした話ぶりでした。 いやいやいけないんだよ、伝染ったら、どんなことになるかわからないから、本当はそうなんです。 子供らしい他愛のなさから発っせられた言葉であり、本当はこちらが危険を忘れてはいけないのはよくわかっています。 でも「いいよ、うつっても」という言葉を聞いた途端、自分の心がほーっとゆるむのを感じないではいられませんでした。 都会の喧騒のなか人ごみを必死にかき分けて歩いていたところから、急に緑豊かな山里にワープしたような感覚でした。やわらかい土の感触や草木の匂い、優しい風、広々とした空間、山里のそんな温かい優しさをその一言が運んできてくれた感じでした。 本当は感染してはいけないという現実はおいといて、レッスン中にほわんとしたその優しい空気を運んできてくれる子供たちの力はやっぱり素敵だと思います。 日々生徒たちからいろ...

インターネット

今さらですが、音楽環境においてインターネットの普及による恩恵は、はかり知れないものがありますね。どんなジャンルの音楽もどんな演奏家の音楽も気になるものを検索すれば必ずと言っていいほど希望通りの音楽を探し当て聴くことができる。今や当たり前のこととなっていますがほんの十数年前までは違っていました。 知りたい曲や聴きたい演奏があるとCDを購入して聴くというのが主流でしたので、楽器店やCDショップの視聴コーナーに様々なCDを運び込んで店員さんの視線を感じながら長時間ヘッドホンを離さず大枚を支払うたった一枚を徹底的に吟味したものです。二十数年前となるとさらに違い、何年とは言いませんが私の子ども時代になってくると今とは全く別世界でした。 よほど経済力があり音楽に理解のある家庭であればレコードなどでいろいろな音楽に触れる機会があったかも知れませんが、一般的な家庭であれば音楽の媒体はテレビかラジオでした。私の育った家庭でもでもクラシック音楽など全く縁遠い環境でしたので私がクラシック音楽に触れることができるのは主にNHKのクラシック音楽番組のみという状況でした。他の番組を観たがる家族を抑え込みテレビのチャンネル権を獲得しやっと観ることができる(聴くことができる)ピアニストの演奏。ただただ自分の拙い演奏との差に呆然としたものです。ショパンコンクールの番組が放送されたときは釘付けになり、放送をカセットテープの外部録音で録音し、家族の生活の声が入ったファイナリストたちのピアノ演奏を夜な夜な胸をときめかせて聴いていました。高校生の時に音楽の先生から頂いたクラシックピアノのレコードを録音したカセットテープを聴いてショパンの幻想即興曲やモーツァルトのトルコ行進曲にどれほど感激したことでしょう。 本当に何もなくて何も知らなかった時代です。聴きたいものが無尽蔵と言っていいほどに自由に聴ける現在をニューヨークのビル街とすると、当時の状況は見渡す限り大地の荒野にところどころ木やオアシスなどがあるような感じでしょうか。でもそのところどころにしかない木やオアシスが限りなく輝いて見えていました。まだ自分の知らない音楽の世界を知りたくて知りたくてしかたなく身を焦がすような思いでした。 だから知りたい曲聴きたい曲が自由に聴ける今の音楽環境はまさにパラダイスです。桃源郷です。ウハウハです。 なんでも自由に聴け過ぎて...

音楽のちから

バッハの好きな曲を聴いていると日常とは次元の違う世界へ連れていかれることがあります。 私の場合特に宗教曲などだとその別世界度は強まります。 もちろん、バッハの音楽だけに限らずあらゆる曲で体験することですが、 自分の周りの家事やその他の雑事諸々で脳内がさんざめいているところへ音楽が流れ込んできて、別次元へ、深く高く強く敬虔な生命の状態へ連れて行ってくれます。 音楽を聴かなければ体験できない状態ですが、その魂は自分と切り離された音楽の中に存在しているのではなく、もともと自分の中に存在しているものだと感じています。 懐かしく「ただいま」と言って本来の場所に戻ってきた感覚があります。 個々人が持っている本来の深い魂の扉を開くということ、音楽の力とはこれだと感じます。 ピアノを指導していくうえで、年齢が低い場合は特に、できなかったことができるようになること、などの喜びに意識が向きがちでそれはそれで大切にしたいことですが、この、「音楽によってその生徒それぞれの心の扉を開いていく」というもっとも大切な目的を忘れないようにしたいと思います。