2024年2月27日火曜日

イメージスイッチ

 ブルグミュラーの天使の声を練習中のhちゃん。

先週、「まだ音をよく把握していないところがあるから、もう少し確実にしてきてね」と言ってしまったからか、弾き方が音を確認しながら確実に弾くことに集中している感じ。

この生徒さんはいつもほんの少しイメージのヒントになるようなアドバイスをすると、急にスイッチが入って音楽が歌でいっぱいになり、弾く時の体の動きも断然違ってくる生徒さんです。それで、今回も「ずっしり弾きすぎないで鍵盤とハンマーのすきまに少し空気を残すようなイメージできれいな音をねらってみて」などほんの少し曲のイメージをアドバイスすると、2回目の演奏はさっきとは打って変わって曲の世界に入り込み体の動きも音楽の波に乗っている感じ。素敵な演奏でした。さすがです。

hちゃんを見ているといつも音楽のイメージの力をつくづく感じさせられます。

他の生徒たちもこのイメージスイッチが入ることで演奏が大変身することがしばしばです。

細かいデュナーミクなどもイメージ一つで自動的に素晴らしくできてしまったりします。

音楽自身が自分から動き出すような感じですね。

自分で演奏するときももちろんそうですね。頭の中が音楽のイメージで満たされて浸りきれるとき本当に幸せです。

ともすれば楽譜の読み方や指使いなどに一生懸命になりすぎてこのもっとも大事なことを忘れてしまいがちになりますが、一回のレッスンで必ず一度は音楽のイメージで生徒さんが楽しめるよう心掛けたいと思います。


2024年2月21日水曜日

萌えポイント

 GReeeeNのキセキを練習中のTちゃんは毎回曲中のある個所にくると「ここ好き」と言ってそこを何回か味わうように弾いてはこちらを向いてにこっとしてくれます。その個所はほんの四分音符1拍分の箇所ですが、たしかに流れを少し変えるような何とも言えないコードが絶妙に登場している箇所で、「ほんとだあ、いいねえ、そこ」といつも激しく同意しています。

Tちゃんは今の曲以外でもよく、ここが好きと曲のほんの1拍分の萌えポイントをみつけては教えてくれ、また曲以外でも「先生何色がすき?○○は紫が好き。紫っていってもこういうのじゃなくてこういう薄い感じの。」などなどぐっとくるものをよく教えてくれます。

そして私はそんなTちゃんのすてきな感性にいつもぐっときています。

ありますよね、何とも言えず心を奪われる萌えポイント。

私もこどものころオリーブの首飾りという曲が好きで覚えているメロディに伴奏を適当につけてよく弾いていましたが、何とも言えず好きなコードがあり、この世にはどうしてこんなにすてきなものがあるんだろうと不思議な感覚を覚えていました。

何年か前ですが生徒のお母さまも萌えポイントを教えてくださったことがありました。お子さんが発表会で弾くベートーベンのロンドの中の2小節分くらいの箇所を「ここがすっごい好きなんです」とおっしゃって、たしかに心がすうっとするような優しい満ち足りたような2小節でそのときのお母さまの感性にもすごく感激しました。

音楽に喜びを感じている仲間同士という気持ちになれてとてもうれしくなります。

だから、レッスンではいつもそれぞれがそれぞれの尊い感性を持っていることを忘れないでいたいと思います。自分の感性を押し付けず、生徒自身が自分の感性を持って音楽を楽しめるようにといつも願っています。


2024年2月7日水曜日

いいよ、うつっても

長い間続いたコロナ禍の制限があけ日常が戻ってだいぶ経ちました。
コロナ自体はなくなったわけではなくむしろ日常化しているという感じですが、生活を普段通り送れるというのはありがたいことですね。
制限が厳しいころは教室でも本当に神経を使っていました。
そんな大変な頃の出来事です。

ある生徒のレッスン中に他の生徒のお母さまから、携帯のLineに連絡が入り、ちらっとコロナという文字が目に入ったので生徒に「ちょっと急ぎかもしれないからごめんね」と断ってLineを読むと数日前にレッスンに来ていた生徒が検査の結果コロナ陽性だったとのことでした。
ということは、もしかしたら私自身がその時感染してウィルスを保持している可能性があるということです。何の症状もなく元気でしたのでかなり可能性は低いとは思いましたが、レッスン中だった生徒に「もしかして、先生お友達のコロナがうつっていてコロナかもしれんけ、帰ったらよくうがいしとってね、ちょっとあんま先生にあたらんようにしといて。ごめんねもしかしてうつしたら」と言いました。
するとその生徒はのんびりした様子で「いいよ、うつっても」と言うのです。
「え、いいん、うつっても、なんで」というと、その生徒は、以前従妹からコロナ感染したことがあり、近々また従妹に会う予定があったことから、自分が感染したら今度は自分が従妹にコロナをうつすしておあいこになるからといって少し楽しそうでした。悪意など全くなく従妹同士のじゃれあいを楽しんでいるほんわかした話ぶりでした。

いやいやいけないんだよ、伝染ったら、どんなことになるかわからないから、本当はそうなんです。
子供らしい他愛のなさから発っせられた言葉であり、本当はこちらが危険を忘れてはいけないのはよくわかっています。

でも「いいよ、うつっても」という言葉を聞いた途端、自分の心がほーっとゆるむのを感じないではいられませんでした。
都会の喧騒のなか人ごみを必死にかき分けて歩いていたところから、急に緑豊かな山里にワープしたような感覚でした。やわらかい土の感触や草木の匂い、優しい風、広々とした空間、山里のそんな温かい優しさをその一言が運んできてくれた感じでした。

本当は感染してはいけないという現実はおいといて、レッスン中にほわんとしたその優しい空気を運んできてくれる子供たちの力はやっぱり素敵だと思います。

日々生徒たちからいろんなプレゼントをもらってるなあとつくづく思います。
感謝の日々です。

2024年1月10日水曜日

インターネット

今さらですが、音楽環境においてインターネットの普及による恩恵は、はかり知れないものがありますね。どんなジャンルの音楽もどんな演奏家の音楽も気になるものを検索すれば必ずと言っていいほど希望通りの音楽を探し当て聴くことができる。今や当たり前のこととなっていますがほんの十数年前までは違っていました。

知りたい曲や聴きたい演奏があるとCDを購入して聴くというのが主流でしたので、楽器店やCDショップの視聴コーナーに様々なCDを運び込んで店員さんの視線を感じながら長時間ヘッドホンを離さず大枚を支払うたった一枚を徹底的に吟味したものです。二十数年前となるとさらに違い、何年とは言いませんが私の子ども時代になってくると今とは全く別世界でした。

よほど経済力があり音楽に理解のある家庭であればレコードなどでいろいろな音楽に触れる機会があったかも知れませんが、一般的な家庭であれば音楽の媒体はテレビかラジオでした。私の育った家庭でもでもクラシック音楽など全く縁遠い環境でしたので私がクラシック音楽に触れることができるのは主にNHKのクラシック音楽番組のみという状況でした。他の番組を観たがる家族を抑え込みテレビのチャンネル権を獲得しやっと観ることができる(聴くことができる)ピアニストの演奏。ただただ自分の拙い演奏との差に呆然としたものです。ショパンコンクールの番組が放送されたときは釘付けになり、放送をカセットテープの外部録音で録音し、家族の生活の声が入ったファイナリストたちのピアノ演奏を夜な夜な胸をときめかせて聴いていました。高校生の時に音楽の先生から頂いたクラシックピアノのレコードを録音したカセットテープを聴いてショパンの幻想即興曲やモーツァルトのトルコ行進曲にどれほど感激したことでしょう。

本当に何もなくて何も知らなかった時代です。聴きたいものが無尽蔵と言っていいほどに自由に聴ける現在をニューヨークのビル街とすると、当時の状況は見渡す限り大地の荒野にところどころ木やオアシスなどがあるような感じでしょうか。でもそのところどころにしかない木やオアシスが限りなく輝いて見えていました。まだ自分の知らない音楽の世界を知りたくて知りたくてしかたなく身を焦がすような思いでした。

だから知りたい曲聴きたい曲が自由に聴ける今の音楽環境はまさにパラダイスです。桃源郷です。ウハウハです。

なんでも自由に聴け過ぎて音楽のありがたみがわからない、身を焦がすような憧れを感じられないという一面も確かにあると思います。でもインターネットによる今の環境がなければ私はブルックナーのシンフォニーを聴けないままかも知らず、往年の素晴らしい歌手や識者やピアニストたちの演奏を聴けにままかも知れなかったと思うとやはりインターネット普及による今の音楽環境に心から感謝しないではいられないのです。

そしてコロナ禍による制限が明けた今、個人的にですが、デバイスの演奏に飽き足らず、生演奏が聴きたくて仕方なく、いつでも好き放題シンフォニーやピアノ演奏やオペラなど生演奏が聴ける環境を夢見ている今日この頃です。

2022年12月22日木曜日

音楽のちから

バッハの好きな曲を聴いていると日常とは次元の違う世界へ連れていかれることがあります。

私の場合特に宗教曲などだとその別世界度は強まります。

もちろん、バッハの音楽だけに限らずあらゆる曲で体験することですが、

自分の周りの家事やその他の雑事諸々で脳内がさんざめいているところへ音楽が流れ込んできて、別次元へ、深く高く強く敬虔な生命の状態へ連れて行ってくれます。

音楽を聴かなければ体験できない状態ですが、その魂は自分と切り離された音楽の中に存在しているのではなく、もともと自分の中に存在しているものだと感じています。

懐かしく「ただいま」と言って本来の場所に戻ってきた感覚があります。

個々人が持っている本来の深い魂の扉を開くということ、音楽の力とはこれだと感じます。

ピアノを指導していくうえで、年齢が低い場合は特に、できなかったことができるようになること、などの喜びに意識が向きがちでそれはそれで大切にしたいことですが、この、「音楽によってその生徒それぞれの心の扉を開いていく」というもっとも大切な目的を忘れないようにしたいと思います。


2022年11月16日水曜日

命のきらめき

先日家事をしながら、YouTubeの本要約チャンネルを聴いていると、「もしも一年後、この世にいないとしたら。」という題の本の解説をやっており、興味深い内容でした。

早速一年後自分がこの世にいないとしたら、本当に心からやりたいことは何だろうとあれこれ考えていると、子供のころからいつも、果てしなく広い草原で風に吹かれるという光景を思い浮かべて憧れていたことを思い出しました。日々のいろいろな出来事や雑事に追われていつの間にか意識の底の方に埋もれてしまっていた憧憬ですが、わざわざ広い草原に憧れるまでもなくそこそこの、いやかなりの田舎で暮らしていた当時の自分でさえ、さらなる広大な自然を希求していたことを思うと、自分の中の生命がどれだけ自然を求めているかということに改めて思い至ったのであります。

果てしなく広がる草原に地球の広大さを感じながら風に吹かれたい、走り回りたい、大自然に自分の生命を開放したい、命のきらめきを感じたい、ある意味では自分が生まれてきた意味がその憧憬に凝縮されている気がします。

とはいえ住んでいる団地周辺に大草原など望むべくもなく、仕方がないので、ピアノに向かって、大草原で風に吹かれる自分を思い浮かべつつメンデルスゾーンの大好きな曲を弾いてみると…ああ!

風が吹き、光が差し、温かい人の声が聞こえ…etc.

命のきらめきが花火のように、ぱちぱちと弾けます。

音楽の中では、自分の体験したいように感情を体験し、命を開放できることを改めて認識した出来事でありました(^^)

レッスンでもいつも生徒さんたちにこの、感情を体験する喜び、命が喜ぶ瞬間を届けられるよう心掛けたいと思います。